矢部健三(神奈川県総合リハビリテーションセンター七沢更生ライトホーム)
内野大介(神奈川県総合リハビリテーションセンター七沢更生ライトホーム)
末田靖則(神奈川県総合リハビリテーションセンター七沢更生ライトホーム)
論文概要
視覚障害者の歩行手段には、誘導法、白杖歩行、盲導犬利用などがある。七沢更生ライトホームでは、歩行訓練として、白杖歩行を中心に実施している。本稿では、高次脳機能障害の疑いのあるロービジョン者への歩行訓練の事例を報告する。本事例は視覚で点字ブロックを確認していた。また、記憶に困難を抱えていたので、歩行ルートの記憶を補完するツールとして点字ブロックを利用していた。したがって、点字ブロックの視認性の確保は極めて重要である。
キーワード:視覚障害、ロービジョン、点字ブロック、白杖、高次脳機能障害
1.はじめに
中途視覚障害者の多くが、移動・外出に大きな困難を抱えている。視覚障害者の歩行手段としては、誘導法、白杖歩行、盲導犬利用などがある。七沢更生ライトホームでは、中途視覚障害者の歩行訓練として、白杖歩行を中心に訓練を実施している。
本稿では、高次脳機能障害の疑いのあるロービジョン者への歩行訓練の事例を報告し、全盲者とは異なった視覚障害者誘導用ブロック(以下「点字ブロック」)の利用法を紹介する。また、ロービジョン者などが求める点字ブロックの役割についても検討したい。
2.歩行訓練のプログラム
表1に当施設の一般的な歩行訓練のプログラムを示した。当施設の歩行訓練は、視覚障害者が白杖を使用して単独で外出したり、バスや電車などを利用したりすることを目標に実施している。
初期・中期の段階で実施する基礎的な技術習得を目的とした訓練は、当施設内外や厚木市内を訓練場所としている。利用者個々の生活状況に応じた自宅周辺や通勤・通学ルートなどの訓練は、原則として終期段階で実施している。
表1 一般的な歩行訓練のプログラム
段階 |
内容 |
初期 |
面接・評価 屋内歩行(身体防御、伝い歩き) 誘導法 白杖歩行(白杖操作、階段昇降) 環境把握(情報利用、メンタルマップ) 屋外歩行:当施設周辺(白杖操作、ガイドライン歩行) 環境把握(情報利用、メンタルマップ) |
中期 |
屋外歩行:住宅街、市街地(白杖操作、雨天時など) 環境把握(情報利用、メンタルマップ) 交通機関利用(バス) |
終期 |
交通機関利用(バス、電車) 屋外歩行:未知の場所(通行人への援助依頼など) 自宅周辺・必要な場所までの歩行 屋外歩行(夜間時、薄暮時) |
3.事例のプロフィール
年齢・性別・障害等級:20代、男性、視覚1級。視力 右0.15 左光覚弁。
視野 右眼左上半分の視野が行動上有効。
生活歴:1990年生まれ。神奈川県在住。3歳で神経芽細胞腫、12歳で硬膜下出血、18歳で視神経膠腫のため手術を受ける。視覚障害は以前からあったが、3度目の手術後に悪化。高校卒業後は自宅にこもり気味だった。2010年身障手帳を取得した際に、福祉事務所の身障担当ワーカーから当施設の紹介を受ける。当施設利用開始時には、訓練終了後大学への進学を希望。
4.支援経過
4−1 機関・目的
利用期間:2010年11月〜2012年3月。1年間の入所訓練の後、5ヶ月間通所訓練を実施。
利用目的:視覚障害者の生活訓練を受けて、大学進学又は就職したい。
配慮事項:記憶の問題の評価・訓練とロービジョンケアを加えて、進学をめざして生活訓練をすすめる。併せて家族へのフォロー(高次脳機能障害など)も行う。
4−2 初期:2010年11月〜2011年4月
表2に初期段階の訓練内容を示した。
心理訓練の検査では、即時記銘は可能だが、論理的記憶(文章の把持)がかなり困難で、5〜6行の文章はほとんど忘れてしまう、知的にはほぼ保たれているが、記憶面でやや制約がある可能性が窺える、との評価が出された。
当施設利用以前に歩行訓練の経験はなく、白杖は未購入であった。ガイドヘルパーや誘導ボランティアの利用経験はなく、2週に1回程度の外出は両親の誘導を受けていた。歩行訓練では、面接の後屋内歩行、白杖操作、住宅街、繁華街、バス乗降の訓練を実施した。歩く方向の確認や脇道の発見には視覚を活用できたが、障害物の検知には白杖が必要であった。訓練エリア(厚木市街地)について、通りを記憶できても、1度行った目的地の名称・場所をほとんど忘れてしまった。目的地発見におけるルート情報の記憶も定着せず、迷うことが多かった。バスの単独利用は、訓練を実施したエリアにおいて可能になった。
図1には当施設の間取図と、歩行訓練で本人が記述した間取図を示した。廊下の形状は概ね記述できたが、部屋の配置や名称を思い出せなかった。
図1-1 当施設の間取図
図1-2 事例が記述した当施設の間取図
表2 初期段階の訓練内容
科目 |
内容 |
歩行 |
面接、評価、白杖操作、屋内歩行、屋外(施設周辺)、住宅街、厚木市街地、バス乗降 |
心理 |
心理検査、グループワーク |
宿舎生活では、朝夕の点鼻薬や連絡事項を忘れてしまうことが目立ったので、記憶について以前の状況を母親に確認した。3度目の手術の後かなり記憶力が低下したが、医師からは一時的なもので回復する、と説明を受けていたとのことだった。詳しい検査や診察をできれば受けたいとの希望が母親から出され、2011年2月に神奈川リハビリテーション病院リハ科を受診した。心理検査の結果では、記憶力、判断力は正常範囲に近いので、生活訓練を継続して変化を見たほうがよいとの医師の判断で、高次脳機能障害の診断はつかなかった。
4−3 中期:2011年5月〜10月
表3に中期段階の訓練内容を示した。
歩行訓練では、誘導ボランティアの利用、厚木市街地、通所ルートの訓練を実施した。白杖の操作技術については概ね習得できた。脇道やランドマークの発見、車両通行の確認などについては、視覚の活用が中心である。訓練エリアの拡大地図を渡したが、歩行中にうまく活用できない他、地図を忘れたり無くしたりすることも多かった。市街地訓練での目的地発見では、ランドマークなど環境情報を覚えられない、前回の目的地を覚えていない、迷うと焦ってしまい判断力が低下するなどの問題が多かった。しかし、飲食店などを目的地にした場合はヒントを与えれば、思い出すものが多かった。
図2には市街地訓練を実施している場所の地図と、歩行訓練で本人が記述した地図を示した。
図2-1 市街地訓練を実施している場所の地図
図2-2 事例が記述した訓練場所の地図
道路の形状は概ね記述できているが、ランドマークや目的地の位置や名称はほとんど思い出せなかった。
訓練は基礎から応用に進むにしたがって、歩行距離を長くし、複雑な環境で実施した。メンタルマップなど本人の苦手とする課題が多くなり、失敗体験が積み重なった。記憶面を考慮して訓練を進めたが、フィードバックではミスを指摘することが多くなった。やがて訓練に対するモチベーションが低下し、訓練エリアが退所後の生活地域ではないことなどを理由に、訓練に対して否定的な態度を示すようになった。そのため、訓練エリアでは一般的な環境を歩く際に必要な技術の習得を目的に訓練を行っていること、技術習得には反復練習が必要であること、基本技術が習得できた段階で生活地域での訓練を行うことなど、訓練の目的や計画を繰り返し説明した。しかし理解を得ることは難しく、訓練は一旦終了とした。
通所ルートの訓練では、記憶の定着していない部分への対処として、停止して表示を見させたり、援助依頼をさせたりした。訓練により基本的な安全性は確保されたが、不安や焦りで判断を誤ることもあった。そのため、単独歩行の危険性について、本人だけでなく、母親にも助言した。退所後にスムースに誘導を利用できるように、自宅へ外泊する際に、誘導ボランティアを利用させた。利用の申し込み手続きの理解に時間がかかり、ロールプレイを繰り返し行うなど多くの援助を要した。
将来方針として、盲学校の専攻科保健理療科に進学し、あんま・マッサージ・指圧の資格取得を目指したい、との希望が出された。また、入所利用から通所利用に移行したいとの希望も出され、11月以降自宅から通所することとなった。
表3 中期段階の訓練内容
科目 |
内容 |
歩行 |
誘導ボランティア利用、厚木市街地、通所ルート |
4−4 終期:2011年11月〜2012年3月
表4に終期段階の訓練内容を示した。11月から通所利用を開始し、感覚、コミュニケーション、日常生活の訓練を中心に実施した。歩行訓練については進学先決定後の2月末から通学ルートや、盲学校の最寄り駅周辺の環境把握、援助依頼などの訓練を実施した。通所経験で電車利用の動作が向上していたこと、盲学校の出願日などに家族と通学ルートの確認をしていたことなどにより、2回の訓練でルートを概ね覚えることができた。盲学校までの通学路に連続敷設されている点字ブロックを視覚で確認させ、白杖で足元の安全確認をさせた。点字ブロックの分岐や交差点で迷うことがあったが、視覚的な手がかりに注意を向けさせると、リカバリーができるようになった。迷った時の援助依頼の方法についても理解できた。
表4 終期段階の訓練内容
科目 |
内容 |
歩行 |
盲学校への通学ルート、最寄駅周辺の環境把握、援助依頼、視覚障害者情報提供施設へのルート |
5.考察
全盲の視覚障害者は、白杖や足裏を使って点字ブロックの凹凸を確認する。柳原らはロービジョン者の歩行特性として、白線や点字ブロックなどを視覚で確認し、歩行の補助としていることを、当事者へのアンケート調査から明らかにした*1。行動上有効な視力を保持していた本事例も、視覚で点字ブロックを確認する歩行が効果的であった。本事例のように、重度視覚障害者も行動上有効な視力を保持した者は多く、点字ブロックの視認性の確保は極めて重要である。
本事例は、移動上有効な視力を保持していた一方、記憶面で困難がみられ、当施設周辺や厚木市内での訓練では、目的地の名称やそこまでの経路、地図構成などを忘れてしまうことが多かった。しかし、盲学校までの通学路や、視覚障害者情報提供施設への経路には点字ブロックが連続敷設されていたので、歩行ルートの記憶が不鮮明な本事例も、点字ブロックを確認することで記憶を補うことができ、短期間で単独移動が可能となった。記憶面で困難を抱えるロービジョン者にとって、歩行ルートの記憶を補完するツールとして点字ブロックが役立った例である。
6.おわりに
バリアフリー新法の省令、道路移動円滑化基準第34条2では、「視覚障害者誘導用ブロックの色は、黄色その他の周囲の路面との輝度比が大きいこと等により当該ブロック部分を容易に識別できる色とするものとする。「と定められたが、既存の点字ブロックには相変わらず見えない、見えにくいものが数多く残され、ロービジョン者の安全性や利便性を大きく低下させている。先述したように、全盲の視覚障害者だけでなく、ロービジョン者の移動支援にとっても点字ブロックは有用な設備である。点字ブロックの視認性の確保は、新規敷設のものだけでなく、既設のものについても速やかに改修するなどの対策が必要である。また、現在点字ブロックのJIS規格*2には色に関する規定がない。これについても、ロービジョン者の視認性が確保されるよう、速やかに規格を改定することが求められるだろう。
謝辞
本稿を執筆するに当たって、対象事例には協力を快諾していただいた。この場を借りて心より感謝申し上げる。
参考・引用文献
*1 柳原崇男, 北川博巳, 三星昭宏, 齋藤圭亮:2007, ロービジョン者の視機能と外出時の歩行特性に関する研究, 第16回視覚障害リハビリテーション研究発表大会抄録集.
*2 JIS T9251:2001, 「視覚障害者誘導用ブロック等の突起の形状・寸法及びその配列に関する規定」.
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最終更新日: 2012年8月28日(火)
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