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(もう)たいへん!−子育ての工夫

神奈川県・矢部健三

 「どう?子育ては?」と尋ねる知人に、

 「見えないとやっぱりたいへんですね」と答えると、

 「でもね、見えてても子育てはみんなたいへんよ」と彼女。

 僕はこの言葉にかなり憤慨した。一般論として、子育ては誰にとってもたいへんだ。それはわかる。しかし、見えない中で子育てをするということは、普通の子育てよりも多くの困難が生じるはずだ。それを無視して健常の彼女に、「子育てはみんなたいへん」とかたづけられてしまってはたまらない。全盲にしろ弱視にしろ視覚に障害のある状態で子育てをするには多くの困難に直面する。不安や悩み、不自由を抱えながら工夫し、援助を受けてなんとか子育てをしていることを理解してほしい。

 全盲の僕がどうすれば育児に参加できるのか、父親としての責任を果たせるのか。これは妻と結婚したときから時々考えていた。そして、一人目の子どもの妊娠がわかったとき、それを実践することになった。それは、僕が育児休業を取得すること。

 晴眼の妻が中心になって育児をしていたのでは、僕には十分育児に参加できる自身がなかった。「おむつをとってくれる?」と頼まれても、おむつの置き場所が今日はあっちで明日はこっちといった具合にころころ変わっていたのでは僕はまごつくばかりだし、「おむつを換えておいて!」と言われても、それをするにはある程度の慣れが必要だ。なにしろ、全盲なので見よう見まねができない。おむつ交換一つにしても、それをできるまでにはある程度の経験を積まなければいけないが、忙しい毎日の中でその機械が十分確保できるだろうか?結局、妻が自分でやった方が早いということで、僕は育児に関わらなくなってしまうような気がした。それならいっそのこと、僕が中心となって育児に当たるようにすればいいのでは?と考えたのである。

 育児休業期間中の1日の様子を紹介すると、7時前後に起床して妻は搾乳・授乳、僕は朝食の準備(といってもコーヒーとトーストだけですが)と洗濯。朝食を食べ、8時過ぎに専門学校に向け出発する妻を息子と二人玄関でお見送り。そのあと朝食や搾乳・授乳の後片付け、洗濯の続きに取り掛かる。そうこうしていると10時近くなって2回目の授乳の時間だ。調乳から後片付けまででだいたい1回の授乳に30分から40分。これがほぼ3時間毎にやってくるし、その前後にはおむつ交換がある。部屋の掃除を済ませてから天気のいい日には子どもをおんぶして家の周りや近くの商店まで散歩。午後は、子どもと遊びながら洗濯物を畳んだり哺乳便の煮沸消毒をしたり。ちょっとお茶でも飲んでのんびりして夕食の献立を考えているともう夕方になる。4時過ぎから夕食の準備に取りかかる。5時過ぎに妻が帰宅。お茶とお菓子で親子3人一服したあと、夕食の準備を再開。魚を焼いたり盛り付けをしたりといった苦手なところは妻の手を借り、7時前後に夕食。8時前後に入浴、9時前には就寝。こんな毎日だった。

 この中でまず困ったのが調乳。できるだけ母乳で育てたいという考えで、妻がいない日中も朝搾っておいた母乳を使い、足りない文をミルクで補っていた。一番難しかったのは、母乳だけでは1回の分量に足りないとき。足りない分だけ粉ミルクで作るのにお湯の量を量るのがたいへんだ。計量カップを使ってなんどもやってみるのだがなかなかうまくいかない。ほとほと困っていたときに、視覚障害を持つ親たちの育児サークル「かるがもの会」に相談し、注射器を使って湯量を量る方法を教えてもらい、本当に助かった。

 哺乳瓶や乳首の消毒にも悩まされた。グラグラ沸いているお湯の中から菜箸やパスタ掴みで哺乳瓶を取り出そうとするのだが、なかなかうまくつかめない。時間ばかりかかってしまうので、なにかいい方法はないものかと考えた。思いついたのが、大きなパスタ鍋を使うこと。これは普通の外鍋と網になった内鍋があり、パスタがゆであがったら内鍋ごとお湯から引き上げるというもの。これに哺乳瓶や乳首を入れて煮沸消毒し、時間がきたら内鍋ごと引き上げるようにした。これでOK。

 おむつの交換はおしっこだけのときなら問題はないが、ウンチのときがたいへんだ。ちゃんと拭き取れたかどうかの確認が難しいし、おむつを交換している途中で洋服やシーツを汚してしまってもわからない。気づかないほどの少量であればたいした問題はない、と開き直ってもいいのかもしれないが、なかなかそうは思えない。そこで、うんちのときは沐浴もかねてお風呂場でお知りを洗ってあげることにした。おむつをとる前に裸ニラレバ洋服も汚さないし、お風呂場なら周りうんちがついてしまったとしてもすぐにお湯で流してしまえばいい。ただ、たらいにお湯を張ったり服を脱がせたりの準備や、洋服を着せたりたらいや風呂場を洗ったりの後かたづけが煩わしかった。

 見えない状態での子育てがたいへんに感じられるのは、一つの問題にあれやこれや工夫してなんとか対処できるようになったと思ったら、子どもが成長しまた別の問題に直面していた、ということの繰り返しだからだ。調乳やおむつ交換に慣れあまり苦労を感じなくなった頃には、もう子どもは掴まり立ちを始めていた。

 次の課題が読み聞かせ。絵本に点字を付ければいいのだが、点字のついた絵本など売っていない。「ふれあい文庫」などから点字のついた絵本を借りるという方法もあるが、1・2歳で本を汚したり破ったりがしばしばのうちはお借りするにも気が引ける。結局、休みの日にぢもとの公共図書館で対面朗読サービスを受けて絵本に自分で点字を付けることにした。半年に1度ぐらいの割合で対面朗読サービスを利用し、朝から夕方までで7〜8冊の絵本に点字をつけていった。

 歩き出すようになると、家の外で遊ばせるときに苦労した。足音でなんとか子どもの位置や動きはわかるのだが、外遊びをたくさんするようになって一つ困ったことに気がついた。それは、子ども一人のときは足音で十分なのだが、他によその子どもたちが遊んでいるときには他の子どもの足音や歓声にかき消され足音が追えなくなることだ。もちろん、子どもの名前を呼んでもまだ返事などはできない。見失うまいと必死に聞き耳を立てて追うのだが、これはかなりの緊張を強いられとても疲れる。それに、必死に足音を追っているこんなときにかぎって他の子どもから話しかけられたりするのだった。

 「おじさん、どうしてそんな棒を持っているの?」無視するわけにもいかず、内心(困ったな、うちの子がどこかいっちゃうじゃないか!)と思いながらも笑顔を作って、

 「あのね、おじさんはね目が見えないんだ。だからこの白い杖で前になにがあるか確かめてるんだよ。」

 「ふ〜ん、目が見えないんだ!?じゃあどうして僕がここにいるのわかるの?」

 「目は見えなくても耳は聞こえるからだよ。」

たいていこんな風に答えている間に子どもはどこかへ行ってしまうのだった。こんなことが何度かあってゴム紐に鈴を5コ通してつくった鈴輪を息子の足に付けるようになった。

 これを付けてずいぶん楽になった。動いていれば必ず鈴の音がするので、子どもがどこにいるのか、どっちに向かって歩いているのかが手に取るようにわかる。鈴を付けられるのをいやがることも何度かあったが、そのうちに外遊びに出るときには自分から「これを付ける」と身ぶりで示すようにもなってくれた。

 上の子は今4歳。以前のように手もかからなくなり、「見えなくてたいへん」なことも少なくなってきた。ただ、まだ育児が終わったわけではない。きっとまた別の問題に直面して右往左往するのだろう。

 

 

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最終更新日: 2009126()

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