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見えないことを理解する

神奈川県・矢部健三

 父親が目の見えないことをいつ頃息子は理解できるのだろうか、また、3歳の息子は見えないということをどのくらいわかっているのだろうか、とふと思うことがある。

 絵本の読み聞かせをするときなどに、「お父さんが読める点字の付いた絵本を持っておいで」というと、息子は、タックシールに点字を書き、貼り付けてある絵本を本棚から選んでちゃんと持ってくる。そして、「お父ちゃんはお目目が見えないから点字を読むんだよ。お母ちゃんはお目目が見えるから点字がなくても読めるんだよ!」と、まるで新しい大発見でもしたように大きな声でうれしそうに話す。お父さんは目が見えない。目が見えないから点字を読む。息子は言葉ではこの関係をわかっているが、見えないことがどんなことなのかはまだよくわかっていないようだ。

 「ほら、見て!見て!こんなになってるよ!」なにかおもしろいものを見つけたときなどに、こう言って私に確認を求めてくることは多い。そんなときには、「すごいねえ」と適当に相づちを打ったり、手で触ってから感想を息子に答えたりしている。ただ、眠かったりして機嫌が悪いときには、私が手で触れて確認しようとすると、「見るだけ!触ってはいけない!」などと言って息子が癇癪を起こしてしまう。

 かと思うと、こんなこともあった。夕食時に席を立とうとする息子に向かって「ご飯は前部食べましたか?」と聞くと、得意そうに、「前部食べたよ。ほら、お皿触ってごらんよ!」と言って、からになった自分の皿を差し出してくる。お父さんは見えないから触って確認する必要がある、ということを、息子なりに理解しつつある段階なのだろうか。

 最近、息子は「お父ちゃんは目が見えないの?」とよく質問する。「そうだよ」と答えると、決まって「なんで?」と訪ねてくる。「お目目の病気になって見えなくなったんだよ」と答えると、さらに息子は「なんで?なんで病気になったの?」と聞く。「なんでかな?わからないな」と私。息子はこんな質問をすることでお父さんの目が見えなくなった原因を知りたいというよりも、「なんで?」と質問を発する、それに私が答える、そんなやりとりの繰り返しそのものを楽しんでいる節が強い。

 先日息子と二人で朝食を食べているときのこと。その日妻は講習会に出席するとかで早く家を出ていた。私が息子のパンにジャムを塗ってやっていた。そのときである。

 「お父ちゃん、パンにジャム塗るの上手だね。目が見えるようになったの?」と息子。とっさになんと答えてよいものか思いつかず、私は苦笑するしかなかった。

 

 

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最終更新日: 2009125()

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