神奈川県 矢部健三
夢が叶う時、それはもう「夢」ではなく「現実」になってしまいます。でも、一つの夢が叶うと、またすぐに新たな夢が生まれてくるものです。
僕のスキーとの出会いは82年の1月、転校したばかりの盲学校のスキー教室ででした。病気で視力を失って1年もたたない中学1年のことです。スキーと言っても、階段登行で斜面を上り、直滑降かボーゲンで滑り降りる、これを繰り返す練習だけでしたが、急に見えなくなり、なにもできなくなってしまったと落胆していた当時、見えていた頃にも経験したことのないスキーに挑戦できたということは、僕にとって大変な喜びでもあり、大きな驚きでもありました。
スキーに接して間もない頃、僕は漠然とした夢を抱きました。障害を持つ僕が障害を持たない友だちと一緒にスキーを楽しめたなら・・・、そんな夢です。
盲学校の中学部を卒業した僕は、高校から統合教育を受けました。高校・大学と晴眼者の友だちに囲まれて生活し、みんなで酒を飲んだり遊んだりして、それなりに楽しんではいたものの、友だちと一緒にスポーツを楽しむという機会がほとんどなく、なんとなく阻害感を感じることがありました。そんな時、話のはずみで友だち数人と一緒にスキーに行こうということになりました。88年、大学2年の時です。その頃僕はまだボーゲンがやっとできるぐらいだったので、本当にみんなと一緒に滑れるのか、また友だちがパートナーとしてちゃんと指示を出せるのか、当日までとても不安でした。しかし、案ずるより生むが易し。行ったスキー場のゲレンデの幅が広く斜面もなだらかだったので、それまでの不安などどこ吹く風で、友だちも僕もお互いにスキーを楽しむことができました。
それからというもの、年に1度行くか行かないかだったそれまでとはうって変わって、日程が合えば4〜5人の友だちと連れ立ってスキーに出かけ、1シーズンに4〜5回は行くようになったのです。
ただ、人の欲は尽きないもので、友だちと一緒にスキーを楽しみたいという夢が叶うと、「もっとうまく滑れるようになりたい!」という願いが強くなってきました。うまくなるにはどうしたらいいのか。まず一つは、回数を多く滑ること。でも僕の場合は、他の視覚障害者と比べるとはるかに恵まれていて、1シーズンに12・3日はスキーを履けていましたので、これ以上は望むべくもありません。二つ目に考えたのは、うまい人に直接教わること。でも僕の友だちのスキーのうでまえは、ほとんど僕とどんぐりの背比べで、友だちに技術面での指導を仰ぐというのは難しいことでした。解決策は、友だちにうまくなってもらうか、スキーのうまい人と友だちになるか・・・。そんなことを考えていた91年1月、当時協会の会長をしていた福島悟さんからツアーへの誘いを受けたのです。協会のツアーに参加するパートナーの皆さんのスキーのうでまえは、いろいろな人からすばらしいと聞いていたので、二つ返事で参加を決めました。以来毎年のように協会のツアーに参加しています。初めの頃は皆さんと打ち解けられるか不安で、柄にもなく緊張していたのに、今ではすっかり協会のツアーにいくことが楽しみになっています。
今、スキー技術の向上という願いが叶ったかどうか、はなはだ疑問は残りますが、僕の次なる夢は、SAJの検定に合格すること。それも1級に。とても難しいということは、いろいろな人の話から理解していますが、夢は大きい方が挑戦しがいもあるというもの。いつ実現できるか、また本当にそんなことができるのかまったくわかりません。でも、数年後、また今回のように自分とスキーを振り返って考える時に、この夢が現実のものとなっていることを望みながら、今シーズンのスキーの予定をあれこれ考えています。
10周年記念誌「声のきずな」 神奈川県視覚障害者スキー協会 1996
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最終更新日: 2010年8月16日(月)
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